【北毛同窓会】令和6年度の総会が開催されました
令和6年7月20日(土)17時から渋川市のホワイトパークにて、前中・前高北毛同窓会総会が開催されました。北毛同窓会会員18名と天野正明校長、本部同窓会から都丸正樹会長、高橋秀典同窓会誌編集委員長、書記大橋が参加し、総勢22名で開催されました。
S47年卒今井健介幹事長の司会で総会が進行し、星野寛会長が公務で欠席のため、S55年卒岩田悦夫副会長の挨拶、都丸会長、天野校長の来賓祝辞の後、総会議案審議に入りました。1号議案-令和5年度事業報告並びに会計報告承認の件、2号議案-令和6年度事業計画並びに予算案承認の件、3号議案-任期満了による役員選任案承認の件は、いずれも満場の拍手をもって承認されました。
S61年卒元応援団平形隆正氏のエールにより、前橋高等学校校歌1番から4番を全員で斉唱して総会は終了となりました。
その後、S49年卒、同窓会誌編集員長の高橋秀典氏の講演会が開催されました。演題は「閉校の危機を乗り越えて~母校の存続を支えた北毛の経済人~」で、ご遺族から母校に寄贈された巻物の資料『賜展覧 石坂氏嘱 侍従長鈴木貫太郎識』を基に、明治19年に起こった群馬県中学校の存続危機とこれを救った渋川の4人の恩人について講演されました。明治19年通常県会で中学校費廃止案が可決され、翌年4月から中学校に対する県の財政支出がなくなる事態になります。この危機に西群馬郡渋川駅の石坂孫市・石坂四郎平・大竹直四郎・都丸梁香の4氏が立ち上がり、知事へ県(議)会決議不認可之請願書や中学校存続建議書を提出するなどして奔走します。知事と県(議)会の確執などがあり、情勢は混沌としますが、明治24年に県(議)会で尋常中学校の費用全額を県費支弁の決定がなされるまで、5年間母校の存続を支えたのは保護者による授業料の負担と寄附であったそうです。
この危機の後、前橋中学校では、存続運動の中心となって奮闘した石坂孫市氏を卒業式や運動会に毎回招待し、孫市氏没後はご子息にも引き継がれたそうです。また、秋季伊香保榛名への遠足旅行では、必ず石坂家を訪ね、引率教諭が孫市氏の恩徳を訓話し、石坂家も教諭や生徒を厚遇したとのことです。150年近い歴史を誇る我が母校も数々の試練を乗り越えて現在があることを改めて知ることができました。
講演会終了後、出席者全員で記念撮影をしてから、懇親会は岩田副会長の挨拶、出席者最年長のS38年卒飯塚髙嶺氏の乾杯の発声によりスタートしました。中間で出席会員全員の近況報告がなされました。社会活動や趣味、仕事の状況など同窓会員皆様の活躍のご様子が伝わってきました。懇親会はS42年卒隅谷義正氏の締めでお開きとなりました。アットホームな雰囲気の中、心に残る北毛同窓会総会となりました。
文責:書記 大橋慶人 S53年卒