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支部報告

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【東毛前高同窓会】前中・前高校舎探訪記

はじめに
東毛前高同窓会では、今年度の令和7年度(2025年度)の活動として10月18日(土)に旧校舎の跡地を訪ねてきましたので報告します。“いつか旧校舎の跡地を訪ねてみたいですね”と、コロナ禍の何年も前から役員会で話題にのぼっていたことが、やっと実現できました。参加者は、箱田典文さん(S35卒)、籾山邦敏さん(S36卒)、瀧上昭治さん(S43卒)、白石俊昌さん(S46卒)、白土昌義さん(S49卒)、清水和彦(S57卒、報告者)、深澤輝彦さん(S60卒)の7名でした。

これまでの経緯
東毛前高同窓会の恒例行事は納涼会、総会・新年会ですが、令和6年度はそれ以外の活動として「蛟龍祭見学」を計画し、会員5名が6月の蛟龍祭開催日に下沖校舎を訪れ、9月の納涼会で会員に報告しました。

そして、今年度の活動として「旧校舎の跡地を訪ねる」ことを計画しました。日程は行楽シーズンの秋、10月18日(土)に決めました。先ず、予備知識として、9月の納涼会で「前中・前高校舎巡りの予備知識」のミニ講演をS35卒の阿部幹雄さんにお願いしました。明治10年(1877年)に第17番中学利根川学校として開校した前中・前高の校名の変遷から、昭和55年6月に生徒全員が自分の机・椅子をかついで天川原校舎から下沖校舎への引っ越し、及び同窓会建設の「蛟龍館」完成までの長い歴史について資料にまとめていただき、解説していただきました。

それに続き、S49卒の白土昌義さんが「前中・前高校舎探訪」というタイトルの資料を作成していただきました(末尾にもデータへのリンクがあります)。5つの時代、すなわち、①曲輪町校舎の時代(明治10~明治15年)、②小暮校舎の時代(明治15~明治20年)、③紅雲町校舎の時代(明治20年~昭和9年)、④天川原町・文京町校舎の時代(昭和9年~昭和54年)、⑤下沖町校舎の時代(昭和54年~)、のそれぞれの時代について、地図や史跡などの多数の写真を含む様々な情報を詳細にまとめていただいた労作で、当日の散策のためのガイドブックとなりました。

 このガイドブックをもとに、時代をさかのぼって旧校舎の跡地探訪をする計画を立て、下沖町校舎 →天川原町・文京町校舎の跡地と周辺の散策60分 →昼食90分 →紅雲町校舎・曲輪町校舎の跡地と周辺の散策100分の行程表を作成しました。今回は時間と道順の関係で小暮校舎の時代の探訪はできませんでした。

まず天川原町校舎へ
10月18日(土)当日は、晴れたり曇ったりのまずまずのお天気でした。行程表に従い、下沖校舎から車に乗り、天川原町校舎(文京町校舎)の跡地を訪ねることとしました。下沖校舎から天川原町校舎までの道のりは地図上では約3.4キロメートルです。下沖校舎への引っ越しの時、この距離を前高生は机・椅子を担いで歩いたことになります。令和7年度同窓会誌裏表紙に写真が載っています。私が1年生の時でした。昭和9年に紅雲町校舎から天川原校舎へ移転してからしばらくの間、校舎のまわりは田んぼだったようであり、田んぼの中の校舎をイメージするため、跡地へ行く前に文京町の南側、前橋赤十字病院北側に広がる田んぼの中の道から文京町方面を眺めてみることにしました。稲穂の垂れた田んぼと稲刈りが終わった田んぼの混じった季節でした。田んぼを前景に、赤城山を背景にして天川原町校舎跡地方面を眺め、昔はこんなだったのかなーと想像を膨らませました(下の写真)。ここで車をUターンし、「前中・前高 天川原校舎跡記念碑」のある文京町の群馬県生涯学習センターに向かいました。

田んぼの中にあった頃の校舎を想像し天川原校舎跡方面を望む

 

生涯学習センターに到着し、記念碑を探しました。記念碑は、東側の道路から建物入口に向かう手前の左側(南側)にありました。緑青により緑色となった記念碑でした(下の写真)。前中時代の瓦葺校舎の屋根をかたどったものと思われる形の記念碑で、「前中・前高 天川原校舎跡記念碑」と書かれ、屋根には校章がありました。また、記念碑の南側には、“この地にあった天川原校舎は昭和9年より54年までの45年間の前中・前高生の夢を育み、有為の人材を世に送り出したが、創立100周年に当たり、その記念事業の一環として下沖町に移転した。この碑に明治・大正・昭和にわたる同窓生2万3千余の青春のあかしとして、在りし日の校舎の‥‥‥”と書かれていました。昭和天皇の行幸に合わせて校舎を前橋市天川原町(現・文京町)に新築・移転したとのことであり、この記念碑の近くには、昭和9年の天皇行幸記念碑もありました。なお、天皇行幸2年後の昭和11年に校訓「質実剛健・気宇雄大」が制定されたようです(前出の阿部さんのミニ講演の資料による)。

生涯学習センター敷地内の天川原校舎跡記念碑

 

二子山古墳を訪ねる
我々は天川原校舎跡地周辺を散策することとし、10分くらい歩いて二子山古墳に着きました(下の写真)。我々7人中5人は天川原校舎(文京町校舎)に3年間通っており、二子山古墳も懐かしい場所だったようです。私は入学して間もない6月に机と椅子を担いで下沖校舎へ引っ越したS57卒であり、二子山古墳にのぼったのは初めてでした。二子山古墳には何本もの大木があり、歴史を感じました。古墳はその周囲を含めて二子山公園として歩きやすく整備されていました。古墳の上に立ち、前方後円墳の形であることを確認しました。公園周囲の様子は、先輩方が天川原校舎に通っていた時とだいぶ変わっていたようです。

二子山古墳の上を歩く

 

斜め道路の名残を確認
二子山古墳を後にし、歩いて南西方向に向かいました。天川原校舎(文京町校舎)に通っていた前高生は、JR(当時は国鉄)前橋駅と学校をほぼ一直線に結ぶ“斜め道路”を覚えていると思いますが、区画整理によって前橋駅と学校の間の一部(地図上で約250メートル)を残すのみとなってしまいました。実はこの斜め道路は、白土さんの資料(前出)によれば、天川原校舎が出来る前にすでに二子山古墳南側道路まで伸びていた古い道で、前橋台地の水田開発のための用水路(女溝)に沿う道だったようです。天川原校舎跡の南側、天二(天川原町二丁目)緑地脇の斜め道路はその痕跡と言われているようであり、そこまで歩いて見てきました(下の写真)。その後、生涯学習センターに戻り、建物の中で一休みしました。休憩後、車で昼食のお店に向かう途中、北側に残っている斜め道路(下の写真)を通ってみました。

天川原校舎跡の南側、天二緑地脇の“斜め道路”

前橋駅と天川原校舎を結んでいた“斜め道路”の一部

 

紅雲町の記念碑を訪ねる
JR前橋駅東にある徳樹庵で雑談しながらゆっくり昼食をとり、次の目的地の紅雲町校舎・曲輪町校舎の跡地方面へ車で移動し、徒歩で周辺を探訪しました。

はじめに、群馬中央病院の東側道路に面し、救急入口の左側にある「県立前橋中学校跡」の記念碑を訪れました(下の写真)。昭和9年~昭和54年の47年間の歴史のある紅雲町校舎跡地です。記念碑には、“明治十年、群馬県唯一の中学校として当市に創立され、富士見村小暮を経て同二十年ここに移る。昭和九年天川原町に移るまでの四十七年間、明治・大正・昭和に亘り三千余名の人材をこの世に送り、その校風を前橋高等学校に伝える”と書かれていました。創立80周年記念として昭和32年に同窓会で作られたものとのことです。

群馬中央病院の東側道路に面した紅雲町校舎跡地の記念碑

 

県庁最上階から小暮校舎は?
続いて県庁まで歩いて行きました。県庁の建物に入り、西側奥のエレベータに乗り、小さくなっていく利根川を眼下に見ながら32階までのぼり、展望ホールに行きました。周囲の街並み、利根川、遠くの山々などを眺めました。小暮校舎跡はどの辺りなのか、校舎跡近くの赤城の大鳥居を探しましたが、肉眼ではわかりませんでした。双眼鏡・望遠鏡がないと無理のようです。県庁に来たついでに、26階「ふれあいテラス」にある群馬県全体の三次元の地図(ジオラマ)を見に行きました。12,000分の1の縮尺でつくられた凹凸のある地図で、高さは3倍に強調されています。巨人になったつもりでジオラマの上を歩いて群馬県の地形を体感しました(下の写真)。

 

凹凸のある三次元の群馬県地図(ジオラマ)

 

曲輪町校舎の名残を求めて
県庁の建物を出て、次は曲輪町校舎(明治10年~明治15年)の跡地を訪ねることにしました。前橋市曲輪町に東京大学区第17番中学利根川学校(県下唯一の公立中学校)が創立されたことが前高の歴史のはじまりです。校舎があったのは旧前橋城内(現前橋市大手町の裁判所界隈)であったようですが、詳しい場所はわかりませんでした。旧前橋城内であった場所を探訪することにしました。

県庁の建物の東側正面出入口を出て北側に向かって歩くと、「再築前橋城復元図」の大きな案内板が目につき、その後ろの小高い盛り土と石垣、松の木などがお城の雰囲気を残しています(下の写真)。案内板を見ると、前橋城の敷地はかなり広かったことがわかります。現存する城の遺構は少ないとのことでしたが、歩いて東に向かい、市指定史跡となっている「前橋城車橋門跡」を訪ねました(下の写真)。県庁前通りの北側に位置し、大手町二丁目交差点のやや県庁寄りにあります。

再築前橋城復元図の案内板と石垣

 

前橋城の少ない遺構のひとつの前橋城車橋門跡

 

最後に龍海院を訪ねる
その後、南に向かって歩き、前橋藩主酒井氏歴代墓地のある寺院、龍海院に向かいました。曲輪町校舎時代、生徒宿舎があった寺院でもあります。東側の立派な山門(下の写真)をくぐり、お参りを終えた頃、短い秋の日は西に傾きかけていました。紅雲町校舎・曲輪町校舎の跡地の探訪には、時間をかけて歩きました。地図上で測ってみると歩いた距離は約2.5キロメートルでした。

龍海院の山門

 

終わりに
当日は白土さんにガイドしてもらいながら散策し、遠足のような楽しい一日となりました。予定していた場所を、ほぼ予定通りの時間で見てまわることができ、JR前橋駅でお別れして無事に帰路に着きました。

10月18日頃は、涼しい秋風が吹く季節だろうと思っていましたが、予想に反し、残暑に続いてこの頃まで気温が高く、天川原校舎跡(群馬県生涯学習センター)と二子山古墳には蚊がたくさんいて痒い思いをしました。この2カ所は蚊のいない季節に訪れることをお勧めします。

同窓会ホームページ、母校ホームページに母校の歴史が載っていますが、令和9年(2027年)に母校は創立150周年を迎えます。同窓会ホームページには、母校人物群像として、時代を拓いた前中・前高の同窓生たちも載っています。今回、自分の足で前中・前高の校舎跡を訪れたことで、母校の歴史に思いを馳せ、また、前高生であった頃の自分を振り返ることにもなりました。同窓生の皆さんも、機会があれば旧校舎の跡地を訪ね、前中・前高の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

参加者:箱田典文(S35卒)、籾山邦敏(S36卒)、瀧上昭治(S43卒)、白石俊昌(S46卒)、白土昌義(S49卒)、清水和彦(S57卒)、深澤輝彦(S60卒)

「前中・前高校舎探訪」のPDFデータは、こちらからも閲覧できます

報告: 清水和彦(S57卒)