前中・前高の足跡

小暮校舎(明治15年~明治20年)

明治10年、群馬県前橋曲輪町に第17番中学利根川学校として設立された県下唯一の公立中学校も、明治15年「青年ヲ教育スルニハ山間ノ幽静閑雅ノ地ガ適当デアル」と赤城南麓の南勢多郡小暮村に移転となった。

紅雲町校舎(明治20年~昭和9年)

明治20年、「半紙、鉛筆スラ商ウ店ナク」、「書籍衣類ヲ運搬スルニ多く費用ヲ要ス」ため、前橋紅雲町村へ校舎を移転した。
(写真に見られる校舎は明治30年に竣工した新校舎)

天川原校舎(昭和9年~昭和27年)

昭和9年紅雲町の地より、天川原校舎へ全面移転した事情は、建設以来38年を経た校舎の老朽化と供に、同年当地に於いて陸軍特別大演習が挙行されることが決定され、大本営行在所として県庁舎を提供するため、近くにあった紅雲町校舎へ県庁が移るためであった。
(写真は群馬県生涯学習センターにある当時の天川原校舎の瓦及び天川原校舎(文京町)の記念碑。)

天川原~文京町校舎(昭和28年~昭和54年)

昭和27年暮の火災によって、僅かに講堂・体育館を残して全校舎が焼失、2年間を費やして再建された。昭和40年からの新住居表示の実施により、天川原の地は文京町となった。

下沖校舎(昭和55年~現在)

前橋市街地の北東、赤城山を一望する広大な校地は、校舎・諸施設を機能的に配し、各種スポーツ用の広いグラウンドを有している。